SANDII’S SLICE OF LIFETIME

SANDII’S SLICE OF LIFETIME

気まぐれな伝記です。

アーティストとして長い期間、魂(ソウル)の赴くままに表現の世界を歩んできたサンディーの人生のスライスを毎回1枚お届けしようという、ちょっと変わった伝記です。
おっとりとしているが熱情の人、一見気まぐれで実はとても一途、サンディーにはそんなギャップがあるようです。歩んできた道も猫の目のように変化の連続だったサンディーの人生。それを本人の日々のインスピレーションをもとに辿っていきます。だから、生い立ちから始まる普通の伝記とは違います。テーマは毎回変わり、サンディーがそのときどき心を注いでいることや、昔の一枚の写真、作ってきた音楽、そんなところから湧き水のように溢れ出る思い出を語ります。

サンディーのおしゃべりをこたつで向かい合って聞かせてもらうような“のほほん気分”で、お茶でも淹れてリラックスしながら楽しんでくださいね。

——
それでは今回は魂の故郷、ハワイについてじっくり伺わせていただければと思います。
Sandii
いよいよ(笑)

ハワイ、オアフ島でのパーティーで演奏している
10代の頃のサンディー
——
これまで伺ってきたお話から感じるのは、サンディーさんにとって魂の故郷はハワイだということなんですね。でも、私は詳しく関わりを語っていらっしゃる記事を見かけたことがないので、この連載で1回は掘ってみようと。
Sandii
うーん。私も過去のことははっきり出してこなかったのよね。
——
それはまたなぜ?
Sandii
表現活動をする者にとってはアーティストとして世に出てからが重要で、それ以前のことまで詳しく話す必要あるのかな?って。
——
なるほど。それでも思うのですが、前回の幼少の頃に負ぶわれたお姉さんの背中できれいな歌声に引き込まれたというお話は、それこそキャリア以前のことではあっても現在のサンディーさんを作る大きな要素のひとつでとても興味深く伺いました。
Sandii
そうか。今とも繋がることだものね。
——
はい。子供の頃の体験ってかなりその人の基本になると思うんです。それに“サンディーさんの子供の頃ってどんな風だったんだろう?”っていうところはみんな知りたいと思うので、この機会に、いっぺんにではなくても、もっと出していってもいいのではないかと。
Sandii
今回はいつになく真面目に迫ってくるのね(笑)
——
あ、いまかなり緊張してお願いしているのでそうかもしれません。もしかしたら、なにか理由があって詳しくお話しされないのかと思っていたものですから。
Sandii
はい。それじゃあ…少しずつ話してみるね。これも自分の生い立ちを語る、いい機会かもしれないし。
——
よろしくお願いいたします! それで、最初にハワイに行かれたのはいつ頃なんでしょう?
Sandii
10歳ぐらいのときですね。一種の養子縁組のような感じで。
——
えっ?そうだったんですか。
Sandii
だから、気持ちとしては日本とハワイとふたつの家があるような感じ。
——
それはまた複雑系な感じですね。その年齢ではハワイに来ても言葉は最初はわからなかったでしょう?
Sandii
もちろん最初は言葉が分からず、同じ年頃の子供と遊んで覚えました。でも英語って最初はちんぷんかんぷんじゃない?だから言葉の覚え始めの時は、単語じゃなく人の感情を話している声の調子や空気から読み取る。そういう観察力が育ったのかな…? 子犬や子猫や赤ちゃんなんかと一緒!
——
そのー、こういう機会なので立ち入ったことを伺ってしまいますが、不思議に思われなかったのですか?なんで自分だけ家族と日本を離れてここに居るんだろう?とか。
Sandii
ずーっと思ってましたよ…。なぜハワイでこんなに幸せに生活できるんだろう。うちの家族も含めて裕福ではないのに、どうして私だけがこんな恵まれた暮らしを送っているんだろうって。まさに人それぞれの生きてゆく環境や立場とかってどうやって決まるの? 誰が決めてるの? 神様?みたいな…。
——
もしかして、ご家庭にサンディーさんを養子として出すご事情があったということでしょうか。
Sandii
うーんそうなのかな?ただ、元々ハワイでは大昔からハナイといって、親戚や近しい人などの子供をアダプトして育てる風習があってね、そんな自然な流れの中でなんとなくそうなっていったから…。子供ながらに雑誌とかで眺めていたハワイの輝きに無抵抗で魅了されていたんでしょうね! でもある日突然、私を可愛がってくれていたおばあちゃんが亡くなる前に私個人に流れ込んでいる血縁関係のちょっと複雑な事実とか理由なんかを彼女なりにやさしく説明してくれたの。
——
そうだったんですか…うーん。それは優しく説明をしてもらっても、思春期の繊細な少女には辛いお話だったのではないでしょうか。
Sandii
(うなづいて)その時は他人事のように感じたけど、(後で考えると)やっぱりショックだったみたいね。でもその話をきっかけにそれまでのことを思い出してみても私は本当に幸せに育ったし、生まれてきたことを否定したくないって思ったから。歓迎されてこの世に誕生したっていうことを信じていたのかな。少しのたじろぎはあっても、それにも増してどこかで腑に落ちた感じがあったの。
——
それはそういう心構えが自然に…。
Sandii
おばあちゃんから聞く前からなにか無意識には感じて用意していて、受け入れ態勢ができていたのかもしれないね。
——
いつも思うんですが、サンディーさんは無意識とか直感の部分がすごく発達していて、大事なことをそこで判断されているような気がします。
Sandii
そう…かな?確かに空気というものを大事にするというか、敏感ではあると思います。さっきお話しした通り、子供の頃ハワイに渡った時も、英語は単語の意味を人に聞いてとかじゃなく、その言葉を言う人の感情から学んでいったの。
——
わかります。勉強も頭でなく気持ちから入っていくというか。
Sandii
そうね(笑)。変だけどそんな感じ。そうやって空気を読むから、空気を作ることも一緒に覚えていったんでしょうね。
ところで話はちょっと飛ぶかもしれないけれど、世界にはいつも人種差別の問題があるでしょう? (そんな状況の中でも)ハワイには、私も含めていろんな人種が混ざり合って住んでいるから、調和と進化を育てるためには音楽やフラが絶対必要だったと思うんです。
——
ハワイには多民族が集まっているから、空気を調和する必要が昔からあった?
Sandii
私は音楽と同じように、踊りも空気を変える力があると信じているんです。
——
前回の歌で場の空気を和やかにするというお話の延長と言いますか、繋がりますね。
Sandii
そう。そういうものが、コロナ後の世界を和やかにマッサージする表現だと思うんです。
——
だからフラと音楽をやり続けると。
Sandii
それも踊りの目的の一つだから。音楽に専念していたサンセッツの頃から自分の丹田(臍の下三寸にある、気が集まるとされる場所。ヨガや呼吸法では重要な場所)に自然にハワイの気が溜まっていて、それでお客さんに私たちの音楽を伝えるパワーを得たり、逆にリラックスしたりってコントロールしていたのかな。そういう…アロハ筋というか。
——
アロハ筋っていうのは多少サンディー用語だと思いますんで、ちょっと解説をお願いします。
Sandii
柔らかに体を使うとか、ゆったりとした優雅な動きを見せるっていうのは、独特の筋肉の力や、体のコントロールが要るのよね。それを私がそう呼んでいるの。
アロハ筋とは!?(サンディーにとってのアロハ筋の解説)

  • 今すでに自分に恵まれている物・事・人を大切に愛おしむ心の筋肉
  • 光を吸い込んだり纏ったりできる愛の筋肉
  • やさしさや思いやりのような自分の中の清らかな祈りの筋肉
  • ほほえましくしなやかに生きるための愛の筋肉
ALOHAって??
A → Akahai(思いやり)
L → Lōkahi(調和)
O → ’Olu’olu(前向き)
H → Ha’aha’a(謙虚)
A → Ahonui(忍耐)
このように単語の頭文字をつなげるとALOHAになります。
——
それはパフォーマンスなどを見ている側にはわからない手練の技の裏側というやつですね。優雅に泳ぐ白鳥は水面下では懸命に脚を…というような。じゃあ、アロハというピースフルな空気を出すために体の使い方以上に気持ちも込められるんでしょうね。
Sandii
そう、そのアロハのスピリットで、たとえばそよ風や気持ちのいい通り雨、そういうしなやかな思いで私の知っている世界を包み込みたいの。
——
やはりアーティストとしての発想の原点もハワイなんですねえ。
Sandii
ツアーで世界中回っていても、いつもどこかでハワイの花の香りを吸い込んでいたし、子供の頃に暮らしていた時の木漏れ日の中に居る自分や朝露に濡れた木々、鳥の声、椰子の木が貿易風で揺らいでいる。そんな平和なヴィジョンが見えてくるの。本当にすべてが夢みたいに美しかったから。今思い出すと、あれは五感で体験したパラダイスだったんだなあって。

ビーチでのフラレッスンの合間のサンディー。
ノースショアでの一コマ。
——
視覚的にもヴィヴィッドな思い出なんですね。まるで、その時にサンディーさんはハワイで土地の神様に見初められたみたいな。
Sandii
そうね。だから私は素直にハワイっていう環境に恋をしたのね(笑)
——
私は、ハワイは数十年前に1回行った時の散々な思い出しかないんですが、それでもハワイの空気の特別な平穏さは感じましたね。
Sandii
え、散々な目って、何があったの?
——
その時は万事が悪い方に出来過ぎな感じでして、カウアイ島の予約したホテルに着いたら、その土地でも珍しい嵐のような長雨が続いて、プライベートビーチもあるところだったのに、3日間ずっとテレビ見てました。
Sandii
(笑)。いやごめんなさい。
——
それで4日目にオアフ島に移ってやっと晴れた空が見えて、奥さんと食事する前に1人で近所に買い物に行ったら、乗っていたタクシーが追突されて、救急車で運ばれたんですよ。
Sandii
ええー!それはひどい!
——
いやホント、悪運の波状攻撃でした。でも幸い大怪我じゃなかったんで夜には退院して、ワイキキの浜辺で首にギプス巻きながら見上げた日暮れのダイヤモンドヘッドはすごく綺麗でした…。なんかその時にいろんな執着が抜けたような解放感もあったんですけれどね。
Sandii
なんとも言えないけど、お大事にって思うわ。
——
ええ、追突でムチ打ちやって、その後数十年ずっと首をお大事にしています(笑)。それでもあの日暮れの解放感は特別な思い出なんで、今でも思い返すことがあります。
Sandii
それでもハワイをいいところだと思ってくれてありがとうね。そんなお話の後になんだけど、圧倒的な深いのんびり感、眩しい開放感がハワイの一番の魅力なの。
——
たしかにあの時のささくれ立った気分が、滞在した最後の日の星が満天の夜空と空気で癒されましたからね。素直に“ここはいいところだな”って思えました。で、話を戻すと、サンディーさんはそこでフラに目覚められたんですよね。
Sandii
フラは昔からあたりまえのように親しんでいたけれど、十代半ばくらいのときかな。ハワイのアンティ・ベラ(先生)のスタジオの生徒さんの踊りを見て、もうその時はね、そこに居るのが恥ずかしくなるくらい泣きじゃくったの、感動で。そういう経験を思い出します。
——
それは相当に感受性が豊かだったのですね。言うところの“繊細さん”という感じでしょうか。
Sandii
へー、いまそんな言い方があるんだ。
——
感受性が強すぎて、外部からの刺激が内部にいろいろ溜まっちゃう人のことを言うそうです。
Sandii
そうなんだ。でも私は恵まれたことに表現者としてストックされてきた内なるエネルギーを自分なりのスタイルで解放できたタイプ…みたいね。歌とか踊りとかでいい汗をかくという浄化術を覚えちゃったからね。
——
そうですね。サンディーさんはアーティストですから溜まったものが作品の素材になることもあるわけですよね。そうやって表現できる。
それで、ハワイの子供時代のお話の続きですが。
Sandii
そうそう。さっきのハワイで養子になった頃の話だけど、私はやっぱり大家族というものに憧れがあるのね。ハワイの子供時代は、大きなメロンを一人で食べられるから嬉しかったんだけど、その前に日本に居た時はなんでも家族でシェアして食べていた。その兄弟でシェアして食べる時の…わかるでしょう?どっちが大きいかって取り合いをしたりさ、逆にお兄ちゃんが“好物だろ?”って自分の分をくれてニコニコになるとか。
——
ええ。子ども同士の至近距離のコミュニケーションですよね。子猫のようにじゃれあったりして。
Sandii
そう。そういうのが心から懐かしかったなあ。
——
そして、その後いよいよ日本でデビューということになるので、質問を考えるために簡単な年表を作ってみたんですが、最初の頃はアイドル歌手のようでもあるし、マルチ・タレントのようでもあるし、立ち位置がはっきりしない感じで。
Sandii
それはね、いろいろあったのよ…。ハワイと日本を行き来する時期もあったし。
——
では、いよいよ佳境でしょうか。続きに入りましょう。

何かのポートレイト。
ハワイのフラガールっぽい1枚。

ハワイでモデルをしている頃の写真。
サンディーのアルバム「サンディーズ・昭和ハワイアン」のジャケットにも使用。
イラスト:田丸浩史
田山三樹 (ライター/編集)

編著に『NICE AGE YMOとその時代 1978-1984』(シンコーミュージック・エンターテイメント)、編集担当コミック単行本に『ディア・ダイアリー』(多田由美)など。最新編集担当本は『よりぬきヒロシさん 気まずいの以外全部出し』(田丸浩史)。サンディーが80年代中頃まで在籍したアルファ・レコードについての読み物『アルファの宴』を『レコード・コレクターズ』誌で連載していた。