SANDII’S SLICE OF LIFETIME

SANDII’S SLICE OF LIFETIME

気まぐれな伝記です。

アーティストとして長い期間、魂(ソウル)の赴くままに表現の世界を歩んできたサンディーの人生のスライスを毎回1枚お届けしようという、ちょっと変わった伝記です。
おっとりとしているが熱情の人、一見気まぐれで実はとても一途、サンディーにはそんなギャップがあるようです。歩んできた道も猫の目のように変化の連続だったサンディーの人生。それを本人の日々のインスピレーションをもとに辿っていきます。だから、生い立ちから始まる普通の伝記とは違います。テーマは毎回変わり、サンディーがそのときどき心を注いでいることや、昔の一枚の写真、作ってきた音楽、そんなところから湧き水のように溢れ出る思い出を語ります。

サンディーのおしゃべりをこたつで向かい合って聞かせてもらうような“のほほん気分”で、お茶でも淹れてリラックスしながら楽しんでくださいね。

神社との縁(えにし)

——
去年2022年の7月に行われたウニキは迫力ありましたね。
Sandii
あのときは証人になってくださってありがとう…って、迫力推しなんだ(笑)?
——
優美なフラの魅力があってその上で、です(笑)。
Sandii
そういうことでしたら嬉しいな。どんな感じでした?
——
やはり神社で行われるフラの卒業式というのがすごくスペシャル感がありました。神々しさが掛け算されて押し寄せてくるようなすごい世界でしたね。また、夕方から始まったので薄闇のアウトドアと舞台の灯りのコントラストも迫力があって。
Sandii
神社とはわたし、昔からご縁があるんです。だいぶ前に神社の舞台でアマノウズメのイヴェントをやったこともあるし。
——
え?今回と同じ神社ですか。
Sandii
いや、違うお社です。それも90年代の話だからね。
——
それはまた懐かしの。いったいどんなシチュエーションだったのですか?
Sandii
えーとね、あのころ、98年くらいっていうとだんだんセルフ・プロデュースになっていった時期で、この神社での催しへの参加は、初めて久保田さんから独立して自分で一から出演に関する手配もろもろを行ったイヴェントですね。“お開き祭り”っていう。猿田彦さんっていう方がいらっしゃるでしょう?
——
「っていう方」ってなんか人間の知り合いみたいな(笑)。
Sandii
いやいや、そういうわけじゃなく猿田彦大神です(笑)。その大神の研究にかけてはオーソリティーでいらっしゃる鎌田東二という神道ソングライターの方のイヴェントで…。※1
——
えっ⁉︎またまた突っ込むわけじゃないですが、“神道ソングライター”って、そういう職業ジャンルがあるんですか?…でもWikiにあったりして(スマホで検索しながら)。…あっ、本当にある…。鎌田さんについて「神職の資格を持ち、神道ソングライターとして作曲活動も」ってその通り載ってますね。
Sandii
ね?わたしが嘘をついたことがありますか?(笑)。で、その神社にステージがあって、自分のバンドというか、清水さんとか元サンセッツの井浦くんがお手伝いしてくれて、とりあえず最初の一歩を踏み出したわけです。久保田さんも気にかけてくれていたけれど「大丈夫です、今回は」とお断りして。
——
あくまで自立の道を。
Sandii
そう。「ひとりでもできた!」って、大人なのにまるで子供が自転車の補助輪を取って走れた、みたいな(笑)。
——
その例えはどうかと(笑)…いや、うまくいったんですね。
Sandii
手弁当的に皆さんが協力してくれたおかげでできて、本当に感謝でした。「必ず(一人で)できる」という決意、根性…いや覚悟だね。それが必要だった。「私はとにかく今日から一人で歩く、立ち上がる」というキッパリとした気持ちだけでやっていたから。
——
並々ならぬ葛藤もあったのでしょうね。
Sandii
もちろん!その時の心境が我ながらすごかったというか、それまでの「わたしは自分一人では立つことができないから、誰かに頼らないと」という長年の呪縛を解き放つように、生まれて初めての強い決断というものをしたんです。
——
そんなに大きな転機だったのですね。そのころというのは長年のロック・シンガーからフラに回帰する時期でもあったのでしょうか?
Sandii
うん。クムフラの修行をすると決断した瞬間でもあった。自分の底の部分にある、決して振り落とすことができないものがフラだということにとことん気づかされて、古典フラの勉強をちゃんと一からやるという決意を堂々と表明した。自分に(笑)。
——
(笑)自己完結しつつ粛々と学び直しを実行されたと。それですと二重の意味で転機というか。
Sandii
そうだね。決意して行動したあとに人生のステップを一段くらいは上がれた私を、もうひとりの自分が上の方から「それでいい」と見守ってくれている感じ。
——
自意識の上に位置する上位自我のようなものでしょうか。ではぜひ、そのころの一連の覚悟と決意の顛末をお聞かせください。
Sandii
どこからいこうか?
——
それではフラ回帰のお話から初めていただいて、続けてこの間の渋谷の神社でのクムフラの儀式につながる90年代末期の猿田彦大神の奉納イヴェントのお話をお願いいたします。
Sandii
はい。

フラへの新しい旅が始まった

——
フラをもう一度一から学び直すというのは、具体的にどのように?
Sandii
いま思うと、猿田彦神社でのイヴェントが新しい自分になるための決心をさせてくれたのね。それでいったんそういう希望を持ったら、わたしのお師匠さまがいろいろと心を砕いてくださって「チケット代を送るからおいで」とハワイに招いてくださったの。そのとき私は一銭もなかったので(笑)。
——
おお!経済的にもえらい大変だったのですね。
Sandii
うん。そういう時っていろいろな人が近づいてきて、いろいろなことを言うしね(笑)。なんか人の良し悪しを見極めるのが大変だった。いっぱい居る中から真の友人を探すような…チョイスというか、よい縁(えにし)を見つめて判断していく感じ。
——
わかる気がします。またそういうときって、自分の本来の目的を掻き乱すような誘惑が続くんですよね。うっかりそれに乗っかると、また元の木阿弥になったりして。
Sandii
そう!もうねえ。ホント、高速を走っていて「目を瞑ってこのまま突っ込んだら楽になるな」なんていう考えが一瞬頭をよぎったりね(微笑)。
——
えっ?
Sandii
もう一度あの世から出直そうかなって(笑)。
——
うわー!それはもう何と言ったらよいのか…でもしなかったんですよね?
Sandii
(爆笑)。
——
すみません。おっしゃるときの微笑がものすごく深くて、思わず臨場感に引き込まれすぎました。ご無事で何よりです。
Sandii
(笑)。そのときは頭の中で「ダメ!」っていうお師匠さまの声が聞こえた気がするな。
——
きわきわまで追い詰められていた感に圧倒される思いです。
Sandii
でも、それもこれもこうやってここに居る自分になるためには必要な経験だったんだなって思えるけれど、いまは。そういうふうに考えればね、心がけによって過去は全部感謝に変えることができると思うんです。
——
そうですよね。たとえば10年嫌なことが続いて次の10年は良かったから「なんだプラマイゼロかぁ」じゃなくて、次の10年が良くなった時点でその前の10年も「そのための学びや準備のための時間だったんだ」ってなる。それまでの嫌な思い出が別の良い意味を持ち始めるんですよね。
Sandii
そうなの!それが感謝と言うことだと思います。
——
そういったことを乗り越えてハワイで修行的な感じですか?
Sandii
そうです。「今は勉強したいだけしていいよ」と神様が与えてくれた時間だと思ってね。日本に居ながら、時間を作ってはハワイに帰るという時期でした。

SANDII’s HAWAI’i シリーズの一枚目のジャケ写やアーティスト写真など、、、最高のカメラマンで大好きな友人の平間至さんとカウアイ島での撮影シーン

私のクム、パティ・ケアロハラニ・ライトが、ウニキ・クムフラになる為に、自らハワイやポリネシアへの学びを深める為に用意されていた様な、文化や歴史を教えていた彼女の職場を訪ねて、かなり歳上だけど、ソウルメイトであり親友であり、そして愛するフラシスターであった彼女を、このころから私の恩師としても仰ぎみ始めていた気がするショット
——
その時期、シンガーとしてのサンディーさんはどうされていたんですか?
Sandii
キャリア、活動の整理というか…これまでやってきた、作ってきた曲の権利関係の確認とかね。ずうっと任せっきり状態だったからもう、勉強をせざるを得ない状況ですよね。
——
フラを学び直しながらビジネス関係も。
Sandii
新しいことを知るのは楽しいことでもあるから。周りの親切な人たちも手助けしてくれたからなんとかね。そうは言ってもTime is so limited(時間はあまりにも限られている)だから、早く自分のペースを取り戻して新しいアートの道に進みたかったけれど。
——
サンディーさんは本来、ビジネスとかには直接手を染めずにご自分は表現に専念したいタイプ…。
Sandii
そう、ですね。
——
どちらかというと、ほわっとしていたいというか。
Sandii
たぶん、それまであまりにほわっとしすぎていたんだろうね(笑)。だから岐路がいっぺんに来てアップアップしちゃって、我ながらすごい振り幅だなあと思いつつ…。
——
それも自分らしくていいや、って割り切って?
Sandii
そうそう!(笑)。意外とそういうのが嫌いじゃない自分がいたりしてね。
——
どのくらいでベースを作り直せたのですか?
Sandii
しゃにむにやって1年…ちょっとかなあ。99年には完全に自立して。まあ、そこからが新しい自分のお開き祭りみたいなものよ。
——
ではそんな新しいサンディーさんのお披露目になった猿田彦大神の奉納の舞のときのお話を。具体的にはどんなステージだったのですか?
Sandii
この神聖なステージのバックには巨大な銅のような素材で作られた屏風がセットされていてね、その全体に、わたしの感覚だと夜空の星の木漏れ日というイメージが湧くような穴が開けられて、ライトアップされる。
——
すごい荘厳なイメージですね。
Sandii
そう。まるでステージ全体が屏風から広がっていく宇宙に見守られたようなセットなんです。
——
スケールが大きくて宇宙的な雰囲気の和仕様みたいな感じでしょうか。
Sandii
そんな感じ。もともとそのスペースは、天皇家に奉納する土器を作る場所だったのね。そこに作ったステージで行われたイヴェントだったから、土器を焼いている火が篝火というか照明になっている舞台での儀式でした。
——
宇宙的な屏風、神聖な作業所、神のステージ…神エレメントてんこ盛りで、古舘伊知郎の実況ふうに言えば、銀河の大海原に広がる神々しさのコングロマリット状態ですね。
Sandii
(笑)え?実況ってなにそれ。それでね、お開き祭りという趣旨だから最終的には天戸を開くわけ。
——
なるほど、そこでサンディーさんが登場して…。
Sandii
そう。その祭礼の場におけるアマノウズメとして歌とダンス…舞い、かな?それを奉納するわけです。
——
なるほど。それがこの間行われた2022年の場合は、ウニキの場としてお社でフラを奉納されたかのような流れにつながると。
Sandii
やはりウニキというのは生徒さんとわたしにとって肝腎要の節目であり、自分の中の神聖を確認するようなすごく重要な卒業の儀式なんです。コロナで延期になったりしながらこの何年間も最もいい時期や場所を探して、いわばウニキ・ジャーニーが行き着いたのが金王八幡宮だったんですね。
——
それまで長い間準備されて待機していた。
Sandii
金王八幡宮でやることは半年前から決まっていたんです。準備は…1年くらいかかったかなあ。
——
すごくじっくりと取り組まれたんですね。
Sandii
あの頃は先の状況が不透明だったから、臨機応変かつどっしりと構えるようにしていました。

ディック・リー劇場、降臨!

——
そうしますともう一つの転機となったハワイ回帰のほうは、やはり先ほどのお話にあった90年代のころに?
Sandii
90年代の…いつくらいだったかディック・リーが指摘してくれたの。「Your identity is アジアの歌姫」って。
——
ディック・リーとの関わりだと『パシフィカ(Pacifica)』(91年)のころですかね。アルバムの共同プロデューサーでもありますよね。
Sandii
そうそう!『パシフィカ』で自分の中に脈々と宿るハワイを再発見したんだと思います。彼は自分の中で何かが閃くと、それをすごいドラマチックに話すの。そのときも「アジアの歌姫、そして太平洋の波を受けているあなた…。You know ? You are Pacifica …」みたいな感じで。

タイトル曲に代表されるように、音楽文化が混淆したワールド・ミュージックの息吹きが強く感じられる力作。ラウンジ風の「真っ赤な太陽」(美空ひばり&ジャッキー吉川とブルーコメッツ)、スライ・ダンバーのドラムにラップやスクラッチまで入った「東京ドドンパ娘」(渡辺マリ)といった昭和歌謡の大胆な解釈によるカヴァー、さらにドアーズの「ハートに火をつけて」までこのパシフィック世界に取り込んでいる。
——
彼が声を張ってサンディーさんに語りかけているシーンが目に浮かぶようです。
Sandii
そうそう、舞台劇の俳優さんみたいでね(笑)。彼の中に何かが降りてくるのかな?っていう。『Mercy』の時もそう。
——
彼が閃くと“ディック・リー劇場”が開幕するわけですね(笑)。
Sandii
そのときは「あなたは自分に対してmercifulでなければならない。例えば…Mercy」ってディック独特の決め台詞的に、フレーズが出る。
——
ははあ、自分にもマーシー(慈悲)を、ということですか。それがアルバムの精神的テーマというか。自分や他人を責めても何も前向きなものは得られないという?
Sandii
そうね。別の言い方をすれば、自分がやったことしか返ってこない。良くも悪くもブーメランということ。だからそれを受け止めながら、すべてにマーシーを持って接するという心の持ち方じゃないかしら。

(以下、次回へ)

  1. 猿田彦大神については、ここで話に出てくる鎌田東二氏の編著『サルタヒコの旅』(2001年創元社)に詳しく書かれている。文化人類学者のレヴィ・ストロールによる考察、荒俣宏による民俗学的アプローチなど様々なジャンルの論客によって猿田彦の姿が論じられる、細野晴臣・吉本ばなな、両氏の対談なども収録され、サンディー・ファン向けの内容。探せ!古本屋。
イラスト:田丸浩史
田山三樹 (ライター/編集)

編著に『NICE AGE YMOとその時代 1978-1984』(シンコーミュージック・エンターテイメント)、編集担当コミック単行本に『ディア・ダイアリー』(多田由美)など。最新編集担当本は『よりぬきヒロシさん 気まずいの以外全部出し』(田丸浩史)。サンディーが80年代中頃まで在籍したアルファ・レコードについての読み物『アルファの宴』を『レコード・コレクターズ』誌で連載していた。