SANDII’S SLICE OF LIFETIME

SANDII’S SLICE OF LIFETIME

気まぐれな伝記です。

アーティストとして長い期間、魂(ソウル)の赴くままに表現の世界を歩んできたサンディーの人生のスライスを毎回1枚お届けしようという、ちょっと変わった伝記です。
おっとりとしているが熱情の人、一見気まぐれで実はとても一途、サンディーにはそんなギャップがあるようです。歩んできた道も猫の目のように変化の連続だったサンディーの人生。それを本人の日々のインスピレーションをもとに辿っていきます。だから、生い立ちから始まる普通の伝記とは違います。テーマは毎回変わり、サンディーがそのときどき心を注いでいることや、昔の一枚の写真、作ってきた音楽、そんなところから湧き水のように溢れ出る思い出を語ります。

サンディーのおしゃべりをこたつで向かい合って聞かせてもらうような“のほほん気分”で、お茶でも淹れてリラックスしながら楽しんでくださいね。

——
今回は第1回で取り上げたサンディーさんの初のソロ・アルバム『イーティン・プレジャー』の続きです。
Sandii
はい。
——
と言いつつ、この時のアルバム・プロモーション用資料でまたまた気になる部分を見つけまして、ちょっと脱線してみようと。
Sandii
のっけから (笑)。なんでしょう?
——
サンディーさんがフラ・スクールを開校したのって90年代だと思うんですけれど、これによると「1975年 サンディーズ・フラスタジオ開講」と。
Sandii
あ、それはね、私、この75年に友人に頼まれて米軍の座間キャンプでフラ・スクールを開いて教えていたんです。習いに来る人はだいたいが英語圏の人たちだから、英語で教えられる人材として協力していたの。
——
じゃあ、学校を開校して経営とかではなく。
Sandii
そう。レクリエーション・センターの講師としてお手伝いしたというようなものですね。
——
あ、それで開校じゃなく“開講”と。この頃から音楽とともにフラがいつもあったという感じだったんでしょうか?
Sandii
うーん、この頃からというより、もっと前から自分の体幹はフラだからね。
——
サンディーさんの身体髪膚、フラでできている、というような。
Sandii
そう。心と体のステディな中心を作ってくれるのがフラ。どんな時も大地と私を繋げてくれる存在なの。

1976年。右から2番目がサンディー。
——
これまでいろいろなジャンルの音楽をやっていらっしゃいますが、どういう風に関係するのでしょう?
Sandii
どんな音楽をやっていてもいつも還っていく心のオアシスですね。だから、私という存在はフラと共にデビュー前から本質はできていて、あとは時々の衣装、器に入って魂を見せてきた、少なくてもそのつもり。
——
長年続けている表現者の方はだいたいそうおっしゃいますね。“本質は同じ、スタイルは風にそよぐ柳のように”みたいな感じで。
Sandii
人間そんなに簡単に変われないしね。そうじゃないと実際やっていけないんじゃないかなぁ。
——
おお! さすがに言葉に重みがありますねー。
Sandii
(笑)
——
『フラ・ダブ』を一緒にやったデニス・ボヴェル*1もお話を伺ったとき似たようなことをおっしゃってましたね。「好きな音楽はたくさんあるから、時代とともに合うものをアレンジしながら出していくんだ」みたいな。あの方もレゲエやダブだけの人ではなく、ジミヘンとかヘヴィーなロックも大好きで。
Sandii
幅広い天才ですよ。デニスとはもう少し一緒にやりたいって思います。でも彼も今は、体が若い頃のようには動かなくなったらしいね。それでも演奏はすごいけど。
——
デニスとまたやるときはどんな音楽をやりたいですか?
Sandii
そうですね…『フラ・ダブ』は大きな音で聴けば素晴らしく奥行きが出て全ての音が聴こえるけど、ご家庭で普通の音量で聴くと音が細く聞こえてしまうかもって、後で感じました。その辺の呼吸、コツも枚数を重ねて直していきたい。それで最終的にはジャネット・ケイのレベルまでいった歌ものラヴァーズをやりたい。
——
すごく聴きたいです!では『イーティン・プレジャー』の話に戻って。
Sandii
やっと(笑)。
——
このアルバムはサンディーさんの作品の中でも過激なサウンドとニューウェイヴ色が強くて、なおかつワールド・ミュージックの先駆けというか。
Sandii
そう、前にもお話ししたようにこれを作るとき、私は細野さんを信じて身を任せていて。そうしたら過激ではあるけれど細野さん独特のユーモアに満ちた質感の音を選んでくれたから、いろいろな歌い方にも挑戦できて楽しいアルバムになったと思います。
——
細野さんからはいろいろと具体的なディレクションがあったようですね。
Sandii
ラタ・マンゲシュカル*2っていうインドの歌手を細野さんに『こういう歌いかたができるように勉強してみて』って勧められて聴きまくってました。あとは、沖縄民謡にはまっていたのもこのころじゃないかな。
——
細野さんもラタに触発されて78年ごろに「InDO」というインスト曲を作っていますね。沖縄民謡のほうはどういう風に惹かれたんですか?
Sandii
あの節回しがね、平均律じゃない、クオーター音階が入ったメロディーのとってもビミョーな音階の綾にうっとりするんです。何時間でも聴いていられる。
——
インド、沖縄、ニューオリンズ。本当にサンディーさんの音楽は世界を巡る旅のようですね。
Sandii
そうそう! 細野さんが言うとこところの“歌う兼高かおる”*3っていう感じね(笑)。細野さんは“メタ人間”っていう言葉を使っていらしたけど、私自身は自分が巡り会った歌を自分のやり方で歌うメディア(媒介)人間というかな。民族・ジャンル問わず世界の音楽と出会いたい、ヴォーカリストとして自分ができることを知りたい、という好奇心が強かったですね。今もそう。
——
なるほど。そう伺うと『イーティン・プレジャー』で展開されている音楽の地域性の強い幅広さも納得ですね。エトランジェ系旅芸人歌手、みたいな。
Sandii
なにそれ(笑)。でもそうね…旅するみたいに魂をどこかへ連れて行ってくれる音楽が大好きですね。
——
では何曲かについて具体的に伺いましょうか。まずは1曲めの<アイドル・エラ>。細野さんの解説によれば「アイドルの悲劇を歌ったもの」とありますが?
Sandii
この頃は細野さんから『大物アイドルになったつもりで生活してほしい』なんて言われていたんだけど、クリス・モズデル*4の歌詞が面白いと思った。
——
アイドル・スターたちがいっとき栄華を極めても今はもう誰も覚えていない、っていう諸行無常みたいな。
Sandii
ハリウッドに行くと、往年の大スターたちのフットプリントが見られるんだけど、歌詞を見て『100年後には名前だけが残って誰も記憶していないだろう…あっ! この感じだ』ってそれを思い出した。それでね、当時細野さんがこのタイトルにウケて『アイドルのエラだ。幸宏に捧げよう(笑)』って(笑)。
——
それは細野さんだから許される感じで(笑)。そして忘れちゃいけない<シリー・ゲームス>へのオマージュとも言える<ドリップ・ドライ・アイズ>。その幸宏さんの作曲で、ご自身でものちにカヴァーされています。
Sandii
もぉぉ大難産でしたね。なかなか細野さんが意図する歌い方にならなくて、1日歌ってもだめで、家に帰って落ち込んで泣いて。次の日、朝風呂入ってからレコーディングに行ったんだけどもう気分は最悪で『待ちに待ったレコーディングで、私は歌手なのに、どうしたらいいの?』ってなってしまって、気持ちも喉もボロボロのカラカラ。だから『とりあえずやってみようか』で始まったら全然いつもの力が出なくて、抜けきった感じで喋るように歌ったらああいう声になったんです。そうしたら『……最高!』と。
——
まさに“ドリップ・ドライ”な声と歌い方になっていたわけですね。
Sandii
そうやって私の歌声をコントロールしてくれたのかなって思います。
——
<シリー・ゲームス>のインスパイアは強かったと伺いましたが、サンディーさんの方からこういうダブ・アプローチのラヴァーズ系の曲を望まれたんですか?
Sandii
そうだったかも。で、細野さんは『うーん、(<シリー・ゲームス>は)今流行っている曲だからなー』ってちょっと考えちゃったけど『よし! 幸宏くんに何か書いてもらおうか』って(笑)。
——
なんか兄弟分のようなノリで(笑)。でもメロディーが美しくて、屈折した歌詞もロマンティックな名曲ですよね。
Sandii
そう。あのメロディーを書くなんて幸宏って天才!って思いました。
——
では沖縄とロックが不思議に混じったような<Alive>。
Sandii
久保田麻琴さんと一緒に作りました。喜納昌吉さんのお父さんとも交流があって<ハイサイおじさん>もやったことがあるから、ぜひ沖縄ものをやりたいということになったんです。それで“ロバート・パーマー*5が沖縄音階で歌ったらどうなるか?”みたいなイメージでやってみました。
——
ロバート・パーマー。抉りこんでくるような強い歌い方をしますよね。
Sandii
ああいう、うまくてガッツのある歌い方を意識したんですよ。
——
次は<ヘイ・ロッカ・ララ>。サンディーさんの青春、ニューオリンズの巨匠・ロニー・バロン作曲です。
Sandii
ニューオリンズものをニューウェイヴ風に歌い回しも変えてテクノでやりたいと思ったんです。
——
連打されるビートが凄い迫力ですね。次の曲の<イーティン・プレジャー>もスネアが突き刺さるようで。
Sandii
アドレナリンがドバッと出るようなね。あの頃はシーナ&ザ・ロケッツのシーナもニューウェイヴ風の歌い方をしていたから、時代的なものもあるんじゃないかな。
——
<イーティン・プレジャー>ではツートンっぽいスカ・ビートも取り入れているし。
Sandii
この時は“ブルージーな歌い方禁止令”が出ました。『歌が歌えないような純粋な子供がはしゃいでいるように音程とか無視して歌ってほしい』と。
——
通常の上手いヴォーカルをあえて無視して、時代に合った新鮮なテイストを狙っていたんですかね。
Sandii
たぶん細野さんはあの時に私という器を通して、何か新しい音楽の形を探していたんだと思う。
——
なるほど。それに比べると<ジミー・マック>は割とノーマルにカッコいい、ノリのいい曲ですね。有名なモータウンの曲。
Sandii
オリジナルが大好きだから抜け出せないのよね……。でもあまり凝ったやり方でアプローチするとこの曲の芯にある良さがなくなってしまうんで悩んだんです。そうしたらジョン・セバスチャンのアドバイスを思い出した。『いいんだよ。コピーしても。君っていうフィルターを通したらいくらコピーしても違いが出るから。生理的に自分という楽器を使ったことで個性が出る。だから安心していいよ』。で、その通りにのびのび歌いました。細野さんもこれは大目に見てくれたのかな(笑)。
——
後に『スネークマン・ショー』の1枚目にも収録されましたね。では次は<ズート・クーク>。これはサイケ風テクノという感じのアレンジで、行きずりの恋の歌のようなんですが、細野さんの解説によると「どうやら彼は異星人」と。なんか発想が飛びすぎていてクラクラしますので、ぜひ解説をお願いします。
Sandii
これも好きなシチュエーションですねー。すれ違ったら記憶から消える、一瞬の永遠があったという曲です。
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ますます分からないんですが(笑)、もう少し噛み砕いてお願いします。
Sandii
うーんと、浮かんでくるヴィジュアルは、ロンドンのチューブ(地下鉄)に潜って行くエスカレーターに乗っているのを思い起こさせる。ロンドンのチューブにあるエスカレーターって日本よりずっと長いから。エスカレーターの上りと下りですれ違う瞬間に見知らぬ男女が恋に落ちる。目と目がビビッ!と合ってパッションが体液になって溶けていく。そして離れるともうお互いの記憶から消える、という。
——
それが一瞬の永遠なんですね。シュールなラヴ・ソングだなあ。
Sandii
私は『有り得るな』って思って、全然違和感なかった。だいぶ後、たぶん2000年くらいかな。日比谷野音(野外音楽堂)でこの曲をライヴでやった時、私は歌っていたから気づかなかったんだけど、UFOが出て気づいた人はみんなステージの上空にあるそれを見ていたらしい。
——
まさに未知との遭遇。歌詞とマッチしたような超常的なことが起きたんですね。サンディーさんの歌声も宇宙に甘く漂っているようで最高です。では今回はこんなところで。
Sandii
あ、『イーティン・プレジャー』だとあと1曲、個人的には一番レコーディングが面白かった曲があるの。
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では締めにその曲の思い出をお聞かせください。
Sandii
<OINORI>ね。
——
あの最後に入っているマントラみたいな。
Sandii
そう。あの曲のレコーディングが一番面白かった。バラモンの人が一緒にレコーディング現場に居てくれたんですけど『これ、どんな意味なの?』って伺ったら『例えばね、インドに行ってカレー食べて下痢になったら、これを唱えると治ります』って(笑)。食べ物の神様に頼んで、食物とかいろいろなもの対する自分の弱点を直してくれる。そういうお経というか、それを唱えることがありがたい勤行になるものらしいね。発音とかこぶしとか難しいから、その日はその一曲だけ6時間くらい録音して終わりになりました。
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食べ物の神=イーティン・プレジャーみたいな連想が働きますね。だからラストに入れたんでしょうか。
Sandii
そうなのかな?でもそのバラモンの人、アニール・チョーカルさんっていうんだけど、寒い日だったのに裸足でカレーをスタジオまで運んでくれてきてね。細野さんと二人で『やっぱり本場インドの人は違うね』って(笑)。
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分かったような分からないような(笑)。
Sandii
(笑)
——
他に何か一言あればお願いします。
Sandii
あ、あと<ラヴ・シック>はサンセッツがメインで、ギターにはケニー井上以外にもケンちゃん=大村憲司が入っている。
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YMO的には2代目ギタリストでいらした。曲調や全体のサウンドなどはサンセッツへの移行が暗示されているような感じですね。では今回はこの辺で。次回はもっと身近なこともお聞かせください。
Sandii
はい。ではまたお会いしましょう♡
  1. デニス・ボヴェル
    レゲエ、ダブのマスターとして広範な支持を受ける伝説的なミュージシャン。70〜80年代は自身のグループ、マトゥンビのほかザ・スリッツなどニューウェイヴ系のプロデュースでも活躍したほか、LKJ(リントン・クウェシ・ジョンソン)の『ベース・カルチャー』やジャネット・ケイの<シリー・ゲームス>といった歴史的作品、大ヒット曲のプロデュースも手がける。サンディーとは約40年来の親交があり、2018年の『フラ・ダブ』を共作した。
  2. ラタ・マンゲシュカル
    インド映画における最も有名で歌唱作品量の多い(ギネス・ブックに掲載)プレイバック・シンガー。独特の歌声と節回しに細野晴臣が傾倒していたことがあるようだ。
  3. 兼高かおる
    『兼高かおる世界の旅』というTV番組が 1990年まで30年以上続いた、著名なトラベル・レポーター、文筆家。2019年物故。
  4. クリス・モズデル
    詩人。ミュージシャン、マルチ・クリエイター。YMOを始め多くの有名ミュージシャンの作詞を手がけたイギリス人。マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンがカヴァーして有名になったYMOの<ビハインド・ザ・マスク>も原曲の歌詞はクリスの手によるものである。いかにもイギリス風の屈折したテーマの歌詞や独特の言葉遣いが特徴。ソロ・アルバム『Equasian』を1982年に発表。
  5. ロバート・パーマー
    60年代から活動したイギリスのミュージシャン、シンガー。ブルースやソウルなど黒人音楽の影響を受けた音楽性をルーツに数々のアルバムを発表後、80年代になるとニューウェイヴと接近し、『クルーズ』『プライド』といった先鋭的なサウンドを持ったアルバムを制作。さらにデュラン・デュランやシックのメンバーらとのユニット、ザ・パワー・ステーションが大人気となる。ソロでも85年の<恋に溺れて(Addicted To Love)>が全米1位を獲得するなど絶頂期を迎える。惜しくも2003年物故。サンディーとは80年代に日本のステージで共演するなど親交があり、ロバートはサンセッツの持つ個性的で幅広いリズム感覚を絶賛していたという。
イラスト:田丸浩史
田山三樹 (ライター/編集)

編著に『NICE AGE YMOとその時代 1978-1984』(シンコーミュージック・エンターテイメント)、編集担当コミック単行本に『マリアナ伝説』(ゆうきまさみ・田丸浩史/共作)『ディア・ダイアリー』(多田由美)など。サンディーが80年代中頃まで在籍したアルファ・レコードについての読み物『アルファの宴』を『レコード・コレクターズ』誌で連載していた。