SANDII’S SLICE OF LIFETIME

SANDII’S SLICE OF LIFETIME

気まぐれな伝記です。

アーティストとして長い期間、魂(ソウル)の赴くままに表現の世界を歩んできたサンディーの人生のスライスを毎回1枚お届けしようという、ちょっと変わった伝記です。
おっとりとしているが熱情の人、一見気まぐれで実はとても一途、サンディーにはそんなギャップがあるようです。歩んできた道も猫の目のように変化の連続だったサンディーの人生。それを本人の日々のインスピレーションをもとに辿っていきます。だから、生い立ちから始まる普通の伝記とは違います。テーマは毎回変わり、サンディーがそのときどき心を注いでいることや、昔の一枚の写真、作ってきた音楽、そんなところから湧き水のように溢れ出る思い出を語ります。

サンディーのおしゃべりをこたつで向かい合って聞かせてもらうような“のほほん気分”で、お茶でも淹れてリラックスしながら楽しんでくださいね。

卒業式に向けて

——
こんにちは、暑いですね。 ※取材は夏に行われた。
Sandii
はい。こんにちは。暑いね。
——
……サンディーさん、今日はいつにも増してエネルギーというか迫力ありますね。なんというか圧倒されそうです。
Sandii
ありがとう、でいいのかな?(笑)。最近はこう…ピシッとしていないといけない、という感じが常にあって。
——
そういえば、今年は大きな課題があるとか。
Sandii
はい。その準備のために私の Biological clock is ticking という感じです。
——
「生物学的時計のタイムリミットが近づいてきた感じ」…??それはどういう感じなのでしょう(笑)。
Sandii
フラの教えを愛弟子に伝えて卒業させる大きなセレモニーが来年あるので、どう教えきれるかっていうことで私自身もそれに向けて再修行して、大事な伝承の時が迫ってくるのをひしひしと感じているという。
——
おお!それは大きな節目ですね。サンディーさんのフラ人生の闘魂伝承というか。
Sandii
闘魂!なにそれ(笑)。
——
すみません。今日はシリアスなたたずまいに圧倒されてつい緊張してしょーもないことを。忘れてください(笑)。
Sandii
Tさんは目の奥がいつもふざけているものね(笑)。まあそれに向けてわたし自身のpurify(浄化)というか禊(みそぎ)というか、重要な…まあ準備イヴェントですね。それに自分のエネルギーを注いでいるところなんです。
——
そのゴールまでの体内時計の進みを感じながらピシピシ行動中という。
Sandii
そう。謙虚に優雅に Cool Running っていうかね。
——
焦らず、でも急いで、みたいな感じですか。
Sandii
だから時の流れに敏感になってね、私がいま実感しているのは、全てはCosmic Clock(コズミック・クロック)で動くんですよっていうことなの。
——
今日のサンディーズ・スペース・トークですね。その感じはわかります。全てのことに定められたタイミングがあるというような。
Sandii
そういう万物のエネルギーを意識するって大事じゃない?
——
Cosmic Clockっていうとミカ・バンドの歌詞*1みたいですね。僕らみんな宇宙のホコリみたいなもんなんですかね。
Sandii
またふざけてる?(笑)。でも、そうね。人間は宇宙時計の砂のようなものかも。そしてそれを意識すると自分の周りからタイミングよく祝福のサインが来るのを感じとれるの。お天気とかからも。
——
時には自然現象の中にも。
Sandii
そういう気持ちで全てを感じとって、自分がポジティヴな光になるつもりになる、そんな心がけが物事を動かすんじゃないかな。
——
ポジティヴな感受性。ものを作る作業はみんなそういうところありますよね。それで、そのフラの儀式が行われるのは来年の?
Sandii
儀式というか卒業式ですね。5月末くらいかな。夏の初めころに行います。夜中にハワイで行われるとてもスペシャルなイヴェントだから、心をしっかり整えておかないと神秘的すぎてなんだか驚いているうちに終わっちゃう。でもそれじゃいけないんです。Fakeness(偽物)は存在できない空気の中で本当のオーラを受け入れる覚悟がいる場です。そこに向けてまず自分がピュアになろうと思って、今は日々“精進、精進っ!”ですよ。
——
「サービス、サービスぅ!」じゃなくて?
Sandii
え?なにそれ。
——
滑ったのでふたたび忘れてください(笑)。まあそれはともかく、『あーもー大変』とかの雑念は締め出して、生徒さんの卒業式に臨まれるわけですね。
Sandii
来年それが終わったら育成の責任を終えて、私も新しいページに入っていくんじゃないかな。…でもねぇ、気を集中させて大きなイヴェントに向かい合うっていうのは、年々扉が重くなっていくね。
——
歴史と立場を担っている方というのはみなさん、そんなもんですよ。
Sandii
“そんなもん”ってそんなに軽く(笑)。まあ、自分のエネルギーは、私が生んだものを受け取るみなさんの気にも作用されるし、お互いのキャッチボールでしょ。
——
アーティストはホント、そういう受け手の気持ちの集合体を受け止めなくてはならないから大変ですよね。ところでその新しいページというものに入ってからの音楽作品はどのようなものに?
Sandii
美しい、強い香りのあるものを作品にしたい。それが第一ですね。
——
そのお答えをもう少し掘ってみましょう。
Sandii
うーんとね、サンセッツ時代にイギリスで受けて、その後オーストラリアでも大ヒットが出て、プレスから『このGreat Success(大成功)をどう思いますか?』っていう質問を受けたのね。それで私は“え? Great Success? それって今なの?”って思ってしまって『成功かどうかは自分がこの先、体を去る時にそれを実感できるかどうかで決まる、そういうものだと思います』って答えたらシーンって(笑)。
——
ははは。究極の答えだ。
Sandii
そう、私が全体を包み込むような答えを言っちゃったから、それ以上質問の 言葉が続かなくなっちゃったんですね。
——
真言みたいに言葉が降りてきて場を包んだんでしょうね。
Sandii
わたし、時々あるんです。“強制ハグ入りま〜す”みたいな感じで。まあ、宗教的って思われるかもしれないね(笑)。

  • サンセッツを応援してくれた英サウンズの編集トニー・ミッチェルさん(赤いジャケットの人物)やロンドンの日本音楽ブームの火付け役だったデイヴィッドさん(脚注 By サンディー)
  • このあとのサンディーの発言の中に絵文字がある箇所は文字で表現できないサンディー・エモーションが溢れている箇所ですのでじっくり味わってください!
——
プレスといえばここに当時の写真がありますが、イギリスの音楽誌はサンセッツを応援してくれていたそうですね。
Sandii
そう!写真のソファーの女性は、音楽ジャーナリストのベティ・ペイジさん!みんなであらゆる誌面を賑わせてくれました❣
——
おっ、口調が変わりましたね。ここは声を大にして言っておきたい感じでしょうか。
Sandii
でも、新人の私達はイギリスでは、17位までしか上がりませんでした❣新人を売り出すのはどこも大変なんですね!?
——
レコード会社の大プッシュも特にはなかった状況でそこまで行ったのはすごいですよ。
Sandii
そう。これらの英国での物凄い露出とプレスの騒ぎが、カナダやアメリカ、オーストラリア、シンガポールなどの英語圏に新鮮な衝撃として、飛び火したからのちにオーストラリアのツアーやヒットに繋がったのですね〜。
——
やっぱり口調が熱いですねー。それもわかります。日本から飛び出して自力で得た素晴らしいトロフィーのような成果ですものね。あの頃のイギリスは、メロディ・メーカー、ニュー・ミュージカル・エクスプレス(N.M.E.)、サウンズ、レコード・ミラーと週刊新聞スタイルを中心にロック専門誌がいっぱいあって、それぞれ特徴のあるスタンスでやっていたようですね。
Sandii
日本と違って、海外、特に英語圏では音楽ジャーナリストの影響がパワ〜フルでしたね❣
——
パワ〜フルでしたか(笑)。
Sandii
(にらみつつ)フランスでも世界の光った音楽をいち早く紹介していたセンスの良い雑誌『アクチュアル』や、『ラジオノバ』と言ったチョーオシャレなFM radioなどで、紹介してくれていました、彼らのリストでもトーキング・ヘッズだったかエルビス・コステロなんかだったか、とにかく大メジャーなアーティストを押さえてサンセッツは上位に入れてくれていました〜。
——
そう考えるとサンセッツはすごい冒険の旅のような活躍をしていたんですね。日本では当時あまり紹介されなかったのが残念です。
Sandii
どんな状況にあっても、一心不乱に音楽の力を信じて一つ一つのコンサートを悔いなく捧げ切った結果だと思います🎶💪。
——
やっぱりサンセッツの音楽の本質を体験するのには、ライヴが最良の入り口だったんだと思いますよ。レコードはニュー・ウェイヴ時代だからというのもあったからでしょうけれど、スタジオで作り込んだ部分が前に出過ぎていたのかもしれませんね。
Sandii
そうかもね。ライヴで魅力を発見してくれたファンが多いバンドだったことは確かだから。
——
と、口調も戻ったところで、さっき話していた来年あたり動き出しそうな新しいサンディーさんの音楽ですけれど。
Sandii
はい。お話戻しましょう。
——
サンディーさんがやりたいと思っているのは、何か強い香りを放つようなもの…。
Sandii
そうです。私がどこかからバシッと受け取ったものを作品として成り立たせたいね。
——
ははあ。たしかにアーティストが凄い作品を作るときも、個人の表現というよりか、何か降りてきたものを受け取っている感覚になることもあるわけですものね。
Sandii
でも神がもし存在されるとしたら、その道具、墨とか絵の具になりたい!っていうのが私の望みです。
——
なるほど。新作も、サンディーさんの場合はシンガーとして歌声そのものがその神の道具的な力とか美を持つ作品を作りたいと。
Sandii
そうね。そうなりたいね。例えばチェット・ベイカーというジャズトランペッターの歌声にはどうしてもその曲のストーリー展開を最後まで聞きたくなるマジックがあるのよね。
——
そうですね、歌声がただの歌声じゃなく、その場に本人が居て語りかけてくる感じしますよね。
Sandii
そうでしょ?ちょっと話はそれるけど、この間お会いした時にこれからは人間の感受性が必要な仕事が重要になるみたいなお話になったでしょう?
——
そうでしたね。あの時は…今後アレクサとかああいうものを使って単純作業を全てやってくれるようになったら、未来は機械的な人間労働は無用になるのかなというような話から発展して。
Sandii
だから私たちには人間にしかできないような仕事が残っていく。そのためには感性を研ぎ澄ますのが重要で、そこをNumb(不感症)にしてはいけない。そう考えるとセルフ・イメージをどこに置くのかは重要だと思う。いいイメージを持って努力していればもともとの状態からさらに品(しな)が上がっていくものだと思うし。あと、この年齢になって、さっきの“何とか伝承”じゃないけど、自分が若い頃から受け継いだ音楽の歴史を自分の作品に生かしてしていきたいなと思います。
——
それも今後の作品のテーマですね。
Sandii
はい。その中の一つで例を挙げると、20代でニューオリンズに渡って経験したセカンドライン・ビートで言葉や国境の壁を超越しちゃうあの感じとか、今でも私の中にあるし、つくづくニューオリンズの伝説のミュージシャンたちとのふれあいで音楽の財産をいただいたと思う。あの宝物を自分の作品に結晶させたい。そういう欲望はあります。

1970年代後半、マルディグラ祭りのニューオリンズにて

ヒート・スケール

——
“欲望”っていうのが生々しくていいですねー。何かこうヴィヴィッドな想いを感じます。では今回は、ニューオリンズの音楽も入っている、思い出のサンセッツのファースト『ヒート・スケール』(1981)を掘ってみましょう。
Sandii
うわー、来ましたね(笑)。
——
取り上げて掘ろうと思ったきっかけは、ネットで見たこのアルバムの外国人のレビューなんです。「このアルバムは素晴らしいが、このCDは僕が昔買ったレコードに入っている曲が何曲か抜けている」ってあって。
Sandii
え!そうなの?
——
海外盤LPはソロの『イーティン・プレジャー』の曲が2曲入っていたんで、そのレビューを書いた海外の人は80年代にそれを買って聴いていたんでしょうね。それが現行版のCDには入っていないんで戸惑ったと。
Sandii
…知らなかった。それって『イーティン』の方が先にイギリスで評判になっちゃっていたから?
——
ええ、たぶん。それでソロ・アルバムの曲も少し混ぜて、「あのサンディーの新しいプロジェクトでもあるんだよ」って強調したかったんじゃないかと。国内盤だと“サンセッツ”だったグループ名表記が海外盤では“サンディー・アンド・ザ・サンセッツ”になっていたのは『フラダブ』のSTORY(https://huladub.com/story/)でも解説した通りです。だからソロの『イーティン』を出してからすぐにグループ入りしたような感じを受けました。
Sandii
『イーティン・プレジャー』と『ヒート・スケール』の頃のスタンスとしては、ソロ歌手サンディーとバンド、サンセッツの二つの道を同時進行するはずだったのかな。でも『イーティン』にもサンセッツは参加しているし、ライヴをやる時のバンドはサンセッツしか考えられなかったから自然と合体したんじゃないかなぁ。
——
ソロ路線はいったん封印、と。
Sandii
成り行きかな?なんかそんな記憶がある。
——
わかりました。ではまずタイトルですが、どういう意味でつけたんですか?
Sandii
えー…熱ウロコ?
——
そのまま(笑)。っていうか、「スケール」は「音階」だと思っていました。
Sandii
スケール=鱗です。意味は、昔から今でいうパワー・スポット?そういうエナジーが強い場所には強い磁場が発生してその印を残すと言われているのね。それで、例えば70年代の終わりくらいからよく行っていたバリ島や、このレコーディングで行ったイビサ島でもビーチにこういう(ジャケ裏参照)黒砂と白砂による網目模様が出る場所がある、と。それが鱗のように見えるから『スケール』と。
——
あ、裏ジャケットにあるウネウネはその砂の織りなす紋様な訳ですね。
Sandii
そう。大地と海の神話のひとつで、宇宙から飛んできた巨大な亀が島になったとか、砂模様がそれの鱗のようにも見えるっていうイマジネーションね。それと表側の写真だけど。藤原時代の硯のケースについている彫り物、彫刻があってね。確かデザイナーさん(井上嗣也氏)が探してきてくれたんだけど。それでネッシーみたいな恐竜か亀の上に世界があって観音様が乗っている。そんな装飾品を撮影してヴィデオ処理したんだと思う。
——
なるほど、聞かなくちゃわからないヴィジュアル・コンセプトですね。イビサでレコーディングしたのは何か理由があるんですか?
Sandii
どうだったかなー。特別な意味とかはないんじゃない(笑)?あえて言えば、ティモシー・リアリー*2の友達のエステバンという人、博士らしいけど、がイビサに住んでいてその人と私たちの友人との繋がりかな。とっても神秘的で引力の強い、古代的・宇宙的な神秘力にあふれるイビシエンコという現地の音楽にも魅了されちゃったり、そういう土地でありながらお洒落なヨーロッパみたいな上品な雰囲気もあるいい場所でね。音楽好きのハイソというかそんな人がいっぱい居た。イギリス人のエンジニアがやってくれたの。
——
そんな感じだと、居心地のいいレコーディングだったんじゃないですか?
Sandii
山の上のお城のスタジオで、ドイツ人が経営していたんだと思う。レコーディングも変わっていて、例えばヴォーカルに深い響きをつけるために、そこにある井戸の奥にマイクを落として録音するとかね。環境型レコーディング(笑)?
——
イギリスの有名なスタジオでも壁に貼られた石のタイルに音を反響させるっていう録音テクニックがありましたけど、それを上回る環境活用ですね(笑)。プロデューサーは『イーティン』に引き続き、細野さん。
Sandii
細野さんは演奏の指示やグルーヴの表現をするとき、体を使って実演みたいに説明するのね。ダンシング・プロデューサー(笑)。
——
それは見たかったですね。
Sandii
あと、私たちに任せてよく寝るので“スリーピング・プロデューサー”とも呼ばれていた(笑)。でも、それこそさっきの“コズミック・クロック”じゃないけど、コズミック・タイミングというかレコーディングの一番の成果が出るタイミングには必ず居合わせている。その鋭い読みは神的でしたね。
——
まさに、ですね。細野さんは久保田さんとは昔から親しかったと思いますが、サンセッツとして細野ワールドに入ってそのプロデュースの下でやっていくことに関してはみなさん、いかがでした?
Sandii
私は『イーティン』の時にお話ししたように細野さんに喜んで全身を預けちゃったけど、実は久保田さん以外のサンセッツのほかのメンバーは最初、細野さんっていうよりテクノを強烈に嫌がっていたのね。
——
なんとなくわかるというか、夕焼け楽団はそれこそテクノと反対のアーシーな音楽性でやってきましたものね。
Sandii
そう。それがいったんアレンジや録音に細野さんのトリートメントがかかると『シャレオツー!』って一変しちゃったの。
——
“シャレオツ”(笑)。洗練されてカッコイイ、と。
Sandii
細野さんが変えたっていっても、バンドの骨格は残した上でだしね。特にドラムの井ノ浦(英雄)くんがジャストな機械的ビートと相性がものすごくいいということを発見してはまっていった。彼は余計なオカズとかが嫌いな方で、機械のようにジャストなタイミングで正確に気持ちよくツボにハマるのが生きがいみたいなところがあるから、特に良かったみたい。
——
なるほど。あの頃、クラフトワークをアフリカ・バンバーター*3なんかが評価し始めて、テクノはファンキーだということがだんだんわかってきた時期ですものね。では、また一曲ずつ見ていきましょう。
  1. 「ミカ・バンドの歌詞」/サディスティック・ミカ・バンド の曲「宇宙時計」の中に“TIC TAC COSMIC WATCH”“おいらはちっぽけな ホコリだよ”などの歌詞がある。
  2. ティモシー・リアリー/アメリカの心理学者。ハーバード大学教授というアカデミックなポジションを得ながら、社会に対して常にアクティヴな行動をとり、さまざまな方法を通じて人間の意識変容と創造性の発達を促す研究と実践活動を行なった。意識拡張とその実践を説いた「Turn on, tune in, drop out(覚醒し、同調し、逸脱せよ)」のモットーは60年代のロック・ミュージシャンにも大きな影響を与え、ことにジョン・レノンは同氏の主張に傾倒していたとされ、サイケデリック・ロックの有名曲の一つ、ビートルズの「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」はティモシーの研究テーマであった意識変容をモチーフにしているとも言われている。なお同じくレノンの手によるビートルズの「カム・トゥゲザー」も元々はティモシーのカリフォルニア州知事選立候補の際のキャンペーン・ソングとして書き始めたのがきっかけで誕生した曲である。アグレッシヴな姿勢や大学の教授職を棒に振っても自身の主義主張を貫く姿勢はカウンター・カルチャーのリーダー的存在として自由主義的な若者の支持を受け、当時のサイケデリック・ムーヴメントの中で伝道者のような崇拝を受けていた。90年代以降はコンピューターが作り出すサイバー・ワールドに人間変革の新たな可能性を見ていたとされる。1996年物故。
  3. アフリカ・バンバーター/アフリカ系アメリカ人の音楽家、DJ。ヒップホップやエレクトロといった、主に黒人のストリート・シーンから派生したファンキーな音楽をメジャーにした元祖の一人。80年前後には“機械的”とされていたテクノ・サウンドにファンキーな要素を発見してDJイヴェントなどでクラフトワーク、ゲイリー・ニューマン、YMOなどを積極的に取り上げ、その成果の一つとして82年にクラフトワークの「ヨーロッパ特急」をモチーフにテクノ・ポップとヒップホップを合体させたエレクトロ作品「プラネット・ロック」を発表し、世界中でヒットさせた。
イラスト:田丸浩史
田山三樹 (ライター/編集)

編著に『NICE AGE YMOとその時代 1978-1984』(シンコーミュージック・エンターテイメント)、編集担当コミック単行本に『マリアナ伝説』(ゆうきまさみ・田丸浩史/共作)『ディア・ダイアリー』(多田由美)など。サンディーが80年代中頃まで在籍したアルファ・レコードについての読み物『アルファの宴』を『レコード・コレクターズ』誌で連載していた。