SANDII’S SLICE OF LIFETIME

SANDII’S SLICE OF LIFETIME

気まぐれな伝記です。

アーティストとして長い期間、魂(ソウル)の赴くままに表現の世界を歩んできたサンディーの人生のスライスを毎回1枚お届けしようという、ちょっと変わった伝記です。
おっとりとしているが熱情の人、一見気まぐれで実はとても一途、サンディーにはそんなギャップがあるようです。歩んできた道も猫の目のように変化の連続だったサンディーの人生。それを本人の日々のインスピレーションをもとに辿っていきます。だから、生い立ちから始まる普通の伝記とは違います。テーマは毎回変わり、サンディーがそのときどき心を注いでいることや、昔の一枚の写真、作ってきた音楽、そんなところから湧き水のように溢れ出る思い出を語ります。

サンディーのおしゃべりをこたつで向かい合って聞かせてもらうような“のほほん気分”で、お茶でも淹れてリラックスしながら楽しんでくださいね。

『ヒート・スケール』ほぼ全曲解説 1

——
えー、前回に引き続いて『ヒート・スケール』に関して、チマチマとオタク的質問をさせていただきたいと思います。
Sandii
はい、チマチマと(笑)。思い出せるかぎりお答えしましょう。
——
『ヒート・スケール』は『イーティン・プレジャー』でスタートしたばかりのソロ路線とバンドの合流が決まったアルバム、とも言えるわけですよね。
Sandii
『イーティン』が評判良かったから、こちらをそれに続く2枚目という風にもアルファ(レコード)が捉えていて、そういう意味では合流かな。
——
想像ですが、『イーティン』が国内で好調で、イギリスの音楽誌でも取り上げられたので、レコード会社としてもその成果をサンセッツの方にも波及させたいという計算があったかもしれないですね。
Sandii
さらに細野さんが関わっていただくプロジェクトになったこともあって、おかげさまで、のびのびと海外でレコーディングさせてくれた感じですね。
——
1980 年くらいまではサンディーさん、けっこうYMOのアルバムに参加されていましたよね。
Sandii
そう。だから私がサンセッツをやりながら YMO のシンガーっていうのも面白かったかもしれないね。私はそれでもよかったけど。

1980 年 YMO コンサート@武道館
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個人的には艶やかなサンディーさんのヴォーカルを『増殖』以後のアルバムでも聴きたかったですね。そう思っているファンの方は多いんじゃないかな。それではアルバムから何曲か選んで伺っていきます。
まずは1曲め、タイトル曲の「Heat Scale」ですが、これは次の「Words & Dancing」とメドレー的に繋がっていますね。
Sandii
『Heat Scale』は細野さんがスタジオでドンドン音をかぶせて作っていったような覚えがある…。このアルバムのムードを象徴するような感じですね。
——
カオスの中にエネルギーがあるという印象の曲ですが。
Sandii
前回にお話ししたように、イビサに来てみたら宇宙と地球の関係を感じるようなインスピレーションがあって、地球のエネルギーみたいな大きなテーマが出てきたんだと思う。
——
この曲はそれが渦巻いている感じですね。続く「Words & Dancing」はサンディーさんの「怖い怖い、言葉は怖い。よろしよろし、踊るはよろし」という歌詞が印象的ですが。
Sandii
その頃の実感…だったのかな? 歌詞を作ったときの細かい気分はあんまり覚えていないけれど、コミュニケーションに関して(言葉で)言わなくてもテレパシーのように必ず繋がるっていうようなことを考えていたと思う。
——
あ、じゃあむしろポジティヴな歌詞。
Sandii
そう。音楽的にはハワイアン・チャントの応用です。そこにそのときの私のフィーリングで言葉を乗せた感じかな。
——
次の「The Great Wall」は楽しい曲ですね。
Sandii
歌い方がいつもとはちょっと変わった感じでしょう?
——
ええ。何か朗々として、明るくタガが外れているといいますか。
Sandii
そんなに弾けてるかな(笑)? あれは童謡とオペラを合わせて、そこに中国の歌曲も入ったような歌い方をしたんですよ。
——
おお! そう聞くとなんかすごいですね。 1曲の中に違う音楽スタイルがそんなにいっぱい…なぜだ(笑)?
Sandii
あの頃は細野さんを始めとして周りからいろんな世界の音楽をインプットしていただいていたから、自分でも“あれも面白い!これもステキ!”っていう発見があって、感情に訴えてくるものは全部一度はやってみようと。
——
例の、“歌う兼高かおる”路線で、ワールド・ミュージックをめぐる旅を実践していたと。
Sandii
まあ、そんなところでしょうか。
——
曲調の明るさに比べて、歌詞はけっこう辛辣というか悲観的ですよね。
Sandii
傷はずっと残っていて、疑いは消えない、というようなね。Great Wall(広大な壁)というのは、手を繋いだことによって人垣をつくって他の人を弾いてしまうっていう意味でもあるの。
——
そういうメッセージを童謡とオペラを合わせたように明るく歌う。
Sandii
あの頃、ニナ・ハーゲンやクラウス・ノミ※1 みたいなオペラ声のロックの人が出てきて受けていたでしょう? 私も面白いと思っていたから、このときにちょっと取り入れたのかな。
——
ニナ・ハーゲン! 『アフリカン・レゲエ』ですな。たしか戸川純さんが彼女の熱心なファンだったような。
Sandii
あ、そうなんだ? ともかくそれで私もああいう朗々とした歌い方でやってみたの。
——
そう伺うと、ロックと異ジャンルの音楽を次々に組み合わせてみるという、あの時代のニュー・ウェイヴ的なやり方という感じで納得です。
Sandii
だから悲観的だっておっしゃる歌詞もね、実際に世界中を回っていて“なんで旅するだけで国と国の間で許可証(パスポート)が必要なの?”って思った実感があって、そういう軽い素直な疑問を歌詞にしてみただけなの。深刻な問題意識っていうより、“これってなんかおかしくない? それを伝えるのにこんな言い方はどうかな?”って、ちょっとふざけたスタイルでやってみたプロテストというか。
——
なるほど、それで割とコミカルな感じの歌い方に。
Sandii
歌い方には中国の歌曲のコブシも入っている。あのレコーディングの時だったと思うけれど、バンド・メンバーのケニー井上くんがタモリ的なデタラメ中国語※2 で喋り始めて、それがすごく自由な感じで、面白いだけじゃなく言葉のバリアーが取れたみたいで楽しくてね。自分もなんか気持ちが解放されて、そういう(中国歌曲的)世界に楽しく気持ちを持って行けた。
——
では「BONGAZUNA」。これってなんのことですか?
Sandii
お盆と砂っていう意味です。
——
なるほど。「盆が砂」なわけですね。
Sandii
人間はお盆の上の砂つぶっていうこと。生まれてから死ぬまで全ての記録が収められたメモリーチップで、毎日神様の手の上でお盆を揺らして踊らされている砂のようなもの。どうせ踊らされているなら楽しんじゃおう。Dust is singing,dancing って。
——
そういう歌だったんですね。歌詞の内容も曲調も吹っ切れたようなヤケクソのような、なんとも言えない…。
Sandii
それはどっちでも同じことだから(笑)、ポジティヴかネガティブかはあんまり決めつけなかったと思う。
——
あの時代はそんな、常に真面目と冗談が入り交じった感じでしたよね。オチのないギャグとかも流行ったし、不確実性の時代というか。で、次は「透明人間」。80 年代初頭の感覚をもろに反映した感じで、この曲だけは時代を感じます。
Sandii
アッハッハ! ホントそうだね、この曲は。うーん、何を考えていたんだろう(笑)。
——
そう言われましても(笑)。なんとかそれを思い出していただきたいわけでして。
Sandii
あの頃に“クリスタル族”って言って…。
——
あー、流行りましたね。田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』。
Sandii
平和ボケの日本への危機感かな? そういうものに代表される、当時の暖かいのか冷たいのかわからない変な空気が気持ち悪いとか…うーん、何を考えていたんだろう(笑)。
——
ふたたび「うーん」と言われましても(笑)。でもまあそういう,今で言う“生暖かい目”というか、親切なようでいて距離をとった慇懃なだけの人間関係というか、そういうことへの違和感を歌にしたのかな、ともとれますね。
Sandii
日本人は昔から見て見ぬ振りをするのが得意でしょ? 歌詞にあるToo nice people っていうのはそういうことを言っている。タイトルの『透明人間』っていうのは“お互いに見えないふりをして関わりを持たないようにしましょ”っていう、人間関係のことだし。
——
それっていかにも『なんクリ』で描かれていた世界ですよね。そういえば当時は YMO 周辺でも『なんクリ』に出てきた価値観ってだいぶ嫌われていたようだし。そういう事なかれ主義をコミカルに批判したというか、半分面白がっていたというか。
Sandii
そんな感じかな。…この曲、今聴くと笑えるよね。
——
時代の証言のような曲ということで無難にまとめて(笑)。次はグッと雰囲気が変わって、荘厳な感じの「Eve Of Adam」。タイトルは作詞のクリス・モズデルさんらしい捻った言葉遊びのような。
Sandii
この歌詞は面白いね。私も少し協力したと思うけど、クリスから説明を聞いて興味が湧いた。バイブルの世界をもう一度考えてみたのかな。
——
このアルバムと同じくらいの時期に高橋幸宏さんの「コア・オブ・エデン」という曲にクリスさんが提供した歌詞も、これに通じるような重厚なテーマが描かれている感じがしますね。
Sandii
そうなの? それは知らなかったな。
——
そして「アンテナ(An Antenna)」はまた、リズムマシンも入って、ファンク・ラップというか、とてもグルーヴィーな曲です。この曲だけ日本語カタカナの歌詞が大きく中袋1面を使って印刷されています。
Sandii
一言でいうと、アンテナを研ぎすまそうよ、というメッセージ。冒険心を持たないとぐるぐる回る山手線にずっと乗っているのと一緒で、風景は変わらないよ、と。
——
「ルーティーンを破って何か新しいことをやってみろ」みたいな一種の勇気づけというか。
Sandii
まあ応援歌ですよ。わたし、応援歌しか書けないもの(笑)。テクノ+ファンクって感じなのはたぶん、当時の時代の新しい響きを着込もうとしていたんだと思うけれど、やっぱりサンセッツの基本はブルースとジャズ、ファンク。黒人音楽への敬意が根底にあるわけだからこの曲もそうだよね。
——
黒人音楽の中でもファンクはあの頃にニュー・ウェイヴのバンドがかなり取り入れましたからね。トーキング・ヘッズ※3 なんかが代表格ですが。
Sandii
あのときのヘッズはかっこよかったね。それでああいうファンクを取り入れた新しいスタイルを自分たち流にやってみようっていうことで、この曲もそういうアレンジにしたのかもしれない。あの頃、サンセッツとヘッズは仲よかったんですよ。
——
そうなんですか? ではちょっと脱線してそのお話を。

81 年当時、人気絶頂だったトーキング・ヘッズとサンセッツの関係とは⁉︎ 以下、次回に続く 。


トーキング・ヘッズのティナとサンディー

トーキング・ヘッズ
1984 年ストップ・メイキング・センス ラストツアー(オーストラリア)サンセッツがオープニングアクトをかざる
  1. ニナ・ハーゲン
    ドイツの女性ヴォーカリスト、女優。冷戦時代の東ベルリン生まれで、10 代の頃にポーランドに渡ったのち東ドイツに戻るなど、 国籍の分断を体験している。女優からキャリアをスタートし、バンドのシン ガーとして活躍するようになってからはド派手な衣装と極端なメイクで変 顔を見せつつハイテンションなアクションをするエクストリームさと実力 を兼ね備えたヴォーカル・スタイルで衆目を集めた。ニナ・ハーゲン・バン ドとして 79 年発表の「アフリカン・レゲエ」はテクノとレゲエを合体させたような曲で、オペラ声やヨーデルとドスの効いたパンク的シャウトが入り 交じり、テンション高い世界を作っている彼女の代表曲のひとつ。動物の権 利に関する強い信念を持ち、86 年には同志のミュージシャン、リーナ・ラ ヴィッチと「Don’t Kill The Animals」という曲をリリースしている。80 年代半ばに世界的なブレイクを果たし、ユーチューブなどでチェックする限り、現在もテンション高く活躍中。
    クラウス・ノミはカウンター・テナーの声を持ったパフォーマーで、ヴィジュアルとしては、日本の裃(かみしも)のような形状の黒ラバーとバレリーナを合わせたような衣装に、ちょんまげにも似た独特のヘア・スタイル、黒く塗った唇が特徴。主にシンセを使ったエレクトリックな音をバックにしたマリア・カラスのようなオペラチックな歌声が印象的だった。日本でも 80 年代初頭にパルコの CM に出演したり、江口寿史の漫画に登場するほど盛り上がり、当時ヒットしたスネークマン・ショーのファースト・アルバムにも彼の「Cold Song」が収録されている。つくづく異人感のある人だったが、84 年、エイズ起源の合併症により 39 歳で物故。
  2. タモリ的なデタラメ中国語
    70 年代後半、デビューしたてのタモリが得意とした“4ヶ国麻雀”という持ちネタ(卓を囲んだ4人がそれぞれ違う言語でまくしたてながら麻雀を行う) の中で登場したデタラメ中国語のことだと思われる。当時の東京 12 チャンネルで放映していた『空飛ぶモンティ・パイソン』の中にあったタモリのコーナーで披露していたと思う。
  3. トーキング・ヘッズ
    アメリカのニュー・ウェイヴ系バンド。1977 年にファーストをリリースした後、セカンド・アルバム以降3枚をブライン・イーノがプロデュースし、アートの手法をロックに持ち込んだユニークな音楽性で一躍人気バンドとなっていった。80 年にイーノ最後のプロデュース作となった『Remain In Light』を発表すると、アフロ・ファンクと繊細な白人ロックの融合が新しいスタイルとなって、世界のロック・シーンに影響を与える存在となった。その後 84 年のジョナサン・デミ監督によるコンサート映画『Stop Making Sense』でのバンドの歴史をライヴで再現するコンセプトと黒人・白人混成チームでの新しいグルーヴの創造で再び話題を呼ぶ。その後はライヴ・ツアーを行わず、ワールド・ミュージック寄りの音楽性になっていき、88 年に実質的に解散。現在、メンバーたちはそれぞれに独自の道を歩んでいる。
イラスト:田丸浩史
田山三樹 (ライター/編集)

編著に『NICE AGE YMOとその時代 1978-1984』(シンコーミュージック・エンターテイメント)、編集担当コミック単行本に『ディア・ダイアリー』(多田由美)など。最新編集担当本は『よりぬきヒロシさん 気まずいの以外全部出し』(田丸浩史)。サンディーが80年代中頃まで在籍したアルファ・レコードについての読み物『アルファの宴』を『レコード・コレクターズ』誌で連載していた。