SANDII’S SLICE OF LIFETIME

SANDII’S SLICE OF LIFETIME

気まぐれな伝記です。

アーティストとして長い期間、魂(ソウル)の赴くままに表現の世界を歩んできたサンディーの人生のスライスを毎回1枚お届けしようという、ちょっと変わった伝記です。
おっとりとしているが熱情の人、一見気まぐれで実はとても一途、サンディーにはそんなギャップがあるようです。歩んできた道も猫の目のように変化の連続だったサンディーの人生。それを本人の日々のインスピレーションをもとに辿っていきます。だから、生い立ちから始まる普通の伝記とは違います。テーマは毎回変わり、サンディーがそのときどき心を注いでいることや、昔の一枚の写真、作ってきた音楽、そんなところから湧き水のように溢れ出る思い出を語ります。

サンディーのおしゃべりをこたつで向かい合って聞かせてもらうような“のほほん気分”で、お茶でも淹れてリラックスしながら楽しんでくださいね。

姉の背中・歌手宣言

——
お久しぶりです。
Sandii
前にお会いしたのは3月?
——
ええ。コロナが猛威を振るい始めた頃で。※この取材は7月に行われた。
Sandii
コロナもだんだん日常になってきちゃったね。
——
環境の変化って意外と慣れてしまうもんですね。もう前提として生活や仕事もするようになって。サンディーさんのほうの活動状況はいかがですか?
Sandii
日々のアクションを増やしながら少しずつ前の状態に戻していって、自分の感覚を保つようにしています。
——
すると今年の重大イヴェントの卒業セレモニー、ウニキのほうも準備を進めて。

2014年ウニキ時の1枚

愛弟子達と日の出を迎えての儀式
Sandii
具体的なスケジュールはまだ検討中だけれど、今から構えを解かずに用意しておくと、たとえ来年になったとしてもパーフェクトな状態のセレモニーが実現できるんです。そういう気持ちでみんなが一心になれば、その後も一人一人が空気を変えられる人になって社会に出ることができる。それを目指しているところです。
——
そんな風に考えれば、今は大変でもいずれ豊かな実になって自分に取り込めると。
Sandii
うん。それとこの社会状況で無理ポジはダメだから、なるべくしなやかな心を保つようにして現実と調和していかないと。
——
たしかに全部大丈夫って思い込むのはかえって疲れますよね。
Sandii
必死に頑張ってまで前向きにならなくていいから、まずは自分の素直な気持ちを信じること。誰だって素直な気持ちを曲げずに歩んでいきたいと思うんじゃないかしら。
——
情報と欲に振り回されて右往左往するより、自分のペースでまっすぐに行きたいですよね。
Sandii
コロナはなるべくみんながそういう風に生きるように、心身を調整して新しい世界のあり方にチューニングをするための荒療治とか、次の世界の前触れという予感がする。
——
なるほどですね。さて、今日はサンディーさんの子供のころのことを伺いたいと思います。
Sandii
おおっ!…て、またもいきなりね(笑)
——
はい。連載も10回近くになりましたから、ここらで少しは自伝らしく昔のことも伺っておこうと思いまして。
Sandii
身もふたもない(笑)。いいよ、なんでも聞いてください。
——
ではサンディーさんの一番古い記憶って何ですか?
Sandii
うーんと…(考えて)たぶん生後半年ちょっとくらいで、お姉ちゃんの背中に背負われてすごく安らかな気分でいたこと、かな?暖かくてふわふわした感触をよく覚えている。それと歌声ね。彼女はコーラス部のアレンジャーをやっていたからいつでも何か歌っていて、その声を赤ちゃんの私が背中に耳を当てて聴きながら、体から響いてくるバイブレーションを気持ちよく感じていた。そのときの歌のメロディーで持っていかれる自分の感覚を覚えている。だから正確に答えるなら、安全なところで“気持ちいい”って感じている自分の意識、じゃないかな。
——
とても原点らしい記憶ですねえ。心地よさ、歌声に陶酔する経験。ぜんぶ現在のサンディーさんの音楽性につながる感じです。
Sandii
うん。自分でもそう思う。たぶんこのときに肉声への承継が培われたっていうか、歌うことに自然と向かっていったんでしょうね。
——
その頃にご自分でも歌い始めたんですか?
Sandii
そうですね。汽笛を聞くとそれとまったく同じ音、コーラスを聞くとその通りの音程で再現している恐るべき幼児っていうか(笑)。私をおんぶしてくれたそのお姉ちゃんは絶対音感に近い能力があったと思うの。その影響を受けたのかな?私にも同じような能力があって。大人になったら消えちゃったけれど。
——
たしか以前に「かなり小さいころに歌手になるって決めた」と伺った覚えがありますが、それは何歳くらいでなんでしょうか?
Sandii
5歳くらいで“歌手になる!”って意識していましたよ。あのね、うちはけっこうな大家族だったんだけど、子供の頃に私が歌うと家族がけんかをやめるっていうのがあって。
——
ははあ。それは子どもサンディーが歌ったとたん、ピタッとけんかをやめてみんなで歌声に聴き惚れるみたいな?
Sandii
歌を鑑賞するとかじゃなくて、うまくすると声に人格があるみたいにピリピリした空気をなだめてフワって変えられるのよ。そういうことが何度もあって、声で空気を変える。場をピースフルにできるっていうことを発見したんです。
——
そういうことを5歳くらいで会得したわけだ。
Sandii
そう。そのときもう“これしか私はやりたくない。これをやる人になるんだ”って決めて、大人に“将来何になりたいの?”って聞かれると“歌手だもん”って。
——
すごい!5歳にして自己完結的なハローワークを済ませたような。
Sandii
べつに就活してたわけじゃないんだから(笑)
——
いやあ“将来なる”じゃなく、その時点で歌手だと答えておられたわけですから、その時から歌手業に就いていたのではないでしょうか。
Sandii
そう宣言しちゃった(笑)。だから、それからは音楽を通じて自分の存在する理由を証明するというか、つじつま合わせの道が始まったわけです。
——
現在まで一直線という感じでブレなしですね。そう考えると、サンディーさんの最古の記憶は豊かで鮮明なだけでなく、将来を決める決定体験でもあるんですね。

不思議なお話80’S

Sandii
さすがにそれより前のことは覚えてないですけれどね。
——
まあ古い記憶といえば、作家の三島由紀夫は自分が生まれる時に、産湯を使うタライを見たという鮮明な記憶があるそうですけれど、そこまで来るとちょっとオカルト的な感じもしますが。
Sandii
私はそういう資質はあるような無いような感じだけれど、70年代に最初にニューオリンズに行った時、現地を歩いていたらフレンチ・クオーター(ニューオリンズのフランスやスペイン統治時代の建物が残る一地区)の細かな道がわかるんで、びっくりされたことはある。
——
デジャヴ(既視感)っていうのとは違うんですか?
Sandii
近いかもしれない…けど、それにしてはえらく具体的だったからね。“こっちに行くとポストがある”とか行く前にわかったり。
——
それはかなり超常的ですね。
Sandii
80年代になるとそういう経験が増えてくるのね。六本木のアマンドっていう喫茶店の近くに(サンセッツのメンバーの)ケニー井上と一緒に立っていたら、赤坂の方から外国人カップルが歩いてきたのよ。二人ともすごい目立つ感じで、男性の方はゴールドっぽい色のスーツを着たわりと年かさでハーフのような見た目、もう一人はスラーっとしたモデル体型でどこの国の出身なのかわからない不思議な容貌の若い女の人。
——
六本木は昔から外国の人が多いですけれど、お話からするとその中でも異彩を放ちまくっている感じですね。
Sandii
うん。ともかく目立つっていうより彼らだけが風景から浮き上がっている感じ。そのカップルが私たちのそばを通って六本木交番の所を曲がって行ったの。私とケニーが“なんか不思議な人たちだったねー”なんて話していたら、その30秒後ですよ。赤坂の方から同じカップルがまた来たの。
——
それは曲がって行った先から戻ってきたんじゃなく、最初に現れた方向からもう一度同じ人たちが?
Sandii
ええ。
——
それは…ありえない現象ですよね。
Sandii
だからビックリしちゃってね。なんだろう、それもデジャヴの一種?
——
いやあ。同じカップルが同じ方向から歩いてくるのを短い時間内に連続して見たんですから既視感じゃないですよね。そんな言葉ないですけど既視現実とでもいうか。
Sandii
じゃあ時間軸がずれたみたいなことかしら。
——
あるいは短時間内の予知ヴィジョンみたいな。誰かのエッセイで読みましたけれど、入院していたら知り合いが病室のドアから入ってくるのが見えたから声をかけたら消えて、その何分か後に同じ人が今度は本当に見舞いに訪ねてきたとか。まあそれだけのことで、その後に何かが起きたとかいうことはなかったそうですけれど。
Sandii
当時、六本木には人間に化けた宇宙人がいっぱい居るなんていう話が流行っていて、そういう風に見ると面白いからケニーと二人で“あれ、宇宙人だったんだね”って笑っていたんだけどね。
——
どういうことだったんでしょうね。人間の感覚がすごく研ぎ澄まされると、相手の目を見ただけで考えていることが次々にわかってしまうとか、約束はしてないけど電話がかかってくる強い予感がすると本当にかかってくるとかいうのは素直に信じられますけどね。そういうのはオカルトというよりは、何かの拍子に個人の情報分析能力が超常的に強まるということだと思うんですけれど。だから、そのカップルの二度出現に関して言えば、サンディーさんたちがたまたま研ぎ澄まされた状態にあって、二人して数十秒後のことを鮮明なヴィジュアルで予知した、みたいなことかもしれませんね。
Sandii
時間軸を超えて予測したのかな?この場合はこれだっていう断定はできないけれど、あの頃の六本木にいっぱい居た、ちぐはぐに目立っている外国人を目撃すると宇宙人っていうことにして、冗談半分で細野さんたちと“なんて化け方が下手な奴なんだ”って笑っていた。
——
その感覚、わかります。80年代前半はそういう話があふれていて、今よりずっとオカルト的な話が日常に入り込んでいた感じがありました。今考えると、なんであんな普通に超常的な話をしていたんだろうって思いますけれど。あのころは、現代だったら“スマホでこんな面白いアプリを見つけたよ”くらいのノリでオカルト体験とかを話してましたよね。
Sandii
田山さんは実体験はあるの?
——
残念なことに、なのか、幸いにもなのか分かりませんが、まったくありません。まあ、さっきの電話がかかってくる予感の話は自分が体験したことですけれど、その六本木カップルの話ほどの衝撃はありませんよね。偶然かもしれないし。サンディーさんは他にもありそうですね。
Sandii
ええと、さっきの話と同じころだけど、永福町からタクシーに乗ったら六本木まで本当に10分で着いちゃって。しかも私たちの後に乗り込んできたお客さんが運転手さんとほとんど同じ顔だったとか。
——
永福町って杉並区のですよね?普通30分くらいはかかるかなあ。その運転手の宇宙のお仲間が六本木で待っていたので急ぎワープした、みたいな?オチがないのがかえってリアリティーがある不思議な話ですね。
Sandii
あとは、あのころはよくスタジオ・セッション的なお仕事をしていたんだけれどその一つで、小林亜星さんのCMのお仕事だったかなあ。オーディションを受けて、その後に原宿の南国酒家という中華レストランで友人と待ち合わせをしたんです。16時に待ち合わせをしたのですけど、お相手が午後6時と間違えてしまっていて2時間私はそこで待っていて…。その時にピンク色のセーターを着てジーンズを履いていました。で、そのオーディションに合格したので、翌日の本番に行くときに車でまた南国酒家の前を通ったら、昨日と同じ格好のピンクのセーターを着た私が立っていたの!
——
それは怖いじゃないですか!ドッペルゲンガー?
Sandii
うーん、ともかくその時にはくらくらっと来て、本当に時間軸がずれたみたいな感じだったわね。
——
もう一人の自分っていうやつでしょうか。あまり会いたくないなあ。
Sandii
こういう体験は以前にはあんまり話さなかったんだけれど、今は割と平気でするようになってきた。そうすると“実は私も”って目撃談が増えるんで、積極的にすることにしたの。
——
なぜまた、そのような心境に?
Sandii
世の中には説明できない不思議なことが起こることがあるっていうのを確かめたいからかな。でも、それっていわゆる俗っぽいオカルトっていうのとはまた違う気もするんだよね。不思議な体験にもそれが起きるちゃんとした意味とか筋道の通る説明がつくはずなんだけど、今の科学や知識ではまだ無理なだけというような。そういう体験を話していれば、そのうち“なるほど!”って思える説明にも出会って謎が解けるようになるんじゃないかと思って。

大霊界
あの頃、みんなの死後の世界への関心が高くなっていたのか、提唱者の丹波哲郎氏の面白く断言する語り口が受けたのか(おそらくその両方であろう)、80年代中頃から流行りに流行った。霊界に関する丹波氏の著書は大霊界ブームの前から数多く出ていたが、80年代末についには映画化され、続編が2回作られるほど大ヒットした。

宇宙からの帰還(1983年。立花隆・著)
人間が宇宙空間に行って地球の重力から逃れると、神秘的な宗教感覚に目覚めることもあるという。12人の宇宙飛行士に取材し、宇宙体験を経た意識の変化とその後を追う本書は「宇宙に出ることで人間は進化するのか?」という知的好奇心を刺激する。
——
今日はサンディーさんの別の面を知ることができて、ますます興味が湧きました。
Sandii
そう(笑)?
——
なんか後半は予期せず、懐かしい80年代的なオカルト話になりましたが、次回は子供の頃のお話の続きを伺いたいと思います。
Sandii
それは微妙なゾーンに入るかも…。ともかく思い出しておくね。
サンディー・今月のお言葉はコレだ!
「過去は全て感謝に変えられるのが、アロハテラピーのすばらしいところ。
 だから、“青空~星空~そこにあるだけで感謝~”(『HULADUB』収録 「ヨロコビのうた」より) ☆MAHALO☆」
イラスト:田丸浩史
田山三樹 (ライター/編集)

編著に『NICE AGE YMOとその時代 1978-1984』(シンコーミュージック・エンターテイメント)、編集担当コミック単行本に『ディア・ダイアリー』(多田由美)など。最新編集担当本は『よりぬきヒロシさん 気まずいの以外全部出し』(田丸浩史)。サンディーが80年代中頃まで在籍したアルファ・レコードについての読み物『アルファの宴』を『レコード・コレクターズ』誌で連載していた。